Question Act.7~

紡がれる言葉での印象と目前に存在する上での印象の違い。一面であり、二面であり、多面の様。

スタイル

先日「すたいる」の学しゃんに髪切られながら力説してもうたんだけど、髪型っつうかヘアスタイルってのはもうね、何があっても譲れん。美容師さんにすげー拘るっていうか、大事。髪を切るのってさ、儀式的な要素大きくて失敗したらもう救われんもん。ロングヘアーならともかくショートの場合は取り戻せんやん。かなり服とかは安物買いするけど、髪はなぁ妥協せん。原則というか「好きにしてええよ」注文しかしないしね、だからその分美容師さん楽しいんだかめんどくさいんだかわかんないけどほんとに好きにしてくれる美容師さんがお好きです。だから遊んでもらえるように極力変えがいがある程度までは放置して伸ばすとかするけどね。

ブーツ

ちょっとバランス感覚が悪いっつうか、足の調子がよくないのもあってずっとブーツ。女物の靴はほぼ履かないです。もれなく引かれます(笑)10年くらい前に「まだリングブーツとか履いてるんだ」と男友達に驚かれたが、それからまた10年経っても履いてるので服装含めてすべて進歩してない。自分の辞書に流行だとかがまったくないことをいまさらながら痛感する。これはこだわってるというわけでもないんだけど、自分が落ち着くだとか楽っていうこと追及すると変わらないよね。だって流行なんてさ、その時々で絶対似合わないっていうのは存在してるじゃん。それを追うのは恥ずかしいことではないけど、似合わないことしてもしゃーないでしょ。

指輪

アクセサリー関係を男に買ってもらうとかしたことないね(笑)おかんがいくつだろ?20代くらいに自作した指輪を形見代わりにずっとつけてるので指輪は本当に自分でも買ったことがない。首輪や腕輪は買うこともあるし、自分も自作するけど、買ってもらうことはないなぁ(笑)…かなり嫌だもん、受け取り拒否。もうね、これは似合わんもん。どっちかというと手でかいし、女物の細いリングかっちょわるいし、かといってさ、ごついのもね、一点ものはいいけどそうでないのはいらん(笑)

メガネとサングラス

ほんとは常時かけてないといけんくらい視力ないんですけど、かけないね。コンタクトなんて無理。あんな怖いものしたくない(笑)そこらへん小心者だから。
サングラスは腐るほど持ってるけどその時の髪型次第で固定が決まる。あと顔つき。近頃はボロボロ落とすので安いのばっかりになってるけど、あんまりねぇほんとにブランドものとか金額に拘らないし、眩しいのダメだし、自分的には鼻紙に等しい日用品なので高いの買ってられるか!だったりします。そのせいでサングラスに度を入れるっつうことが出来ないままでいる不幸。

禁欲と節制

たまにほんとにおかしいんじゃないかと思うんだけど、かなりな禁欲生活してる。昔からよく「きっとお洒落な部屋だよね、インテリア拘ったりしてさ」とか言われるんだがそんなことはありえん(笑)色気とか可愛げとかお洒落なものはどこにもないです。贅沢は敵と思ってないし、贅沢好きだけど居住空間とかは雑多でいいんだよね。雑多の中にいろんなものがあるっつうか、決してシンプルな部屋でもない。無駄に生活感とか所帯じみてたりする。だからこの状況知ると「何故そんなにも禁欲・節制」と驚かれるけど。金かかってるのPCくらいだよ、あと調理道具、でもお洒落じゃないっつうね。単純にいろんな部分でブランドものに興味ないんだよね。使い勝手もさ、自分が使いやすいものであれば何でもいいのさ。

PC

最初に買ったパソコンはMacだった。でもその頃はさ、CD-ROMついてない時代よ?だから何一つ便利じゃなかったし、ソフトも高くてほぼ新品同様に実家の置物になってる(笑)その後もMacだったけど、気がついたらWindows派。だって物書く時にその方が便利だったしね。ノートやらも持ってたけど、今は完全にディスクトップがよくて、hpのばかり買ってる。元はCOMPAQ好きだったからだけど。Dell派でないので驚かれるね、hpってマニアックなの?(苦笑)仕事柄PCやらに詳しいと言われるけど、まぁ独学ですからね。割と「習う」「教わる」っていう行動が嫌いだから独学ブラボーです。独学でもどうにかなるもんです(笑)

料理

外食もするけど自炊が一番さ。ストレス溜まってるとごはん作ってる頻度が高くなるのは我が人生最大の謎。

音楽

洋楽とか聴きそうとかよく言われるけど、自分は邦楽しか聴かないのでございます。日本語の歌詞のものしか聴かない。洋楽だとかヒーリング系、インストは確実に寝る(笑)
自分の中の自分ネジがもう一本か二本外れてたら自分はミュージシャンになってたと思われます。あと楽器センスとかそういうものがあれば(苦笑)すげー昔のバンドブーム時代はあれです、売れそうなの発掘する仕事してたりもしたけど、最近のメジャーにしろインディーズにしろ「うおっ」というのはないな。
頻繁に聴いてるのは知り合いの絡んでるバンドだったりするけど名前晒すと怒られるから晒さないけどそればっかりだったりはする。…でもなんかこう、うおっうわってのが最近ないな。

鴨居さん

好きな画家は誰か?という話だよね。好きな画家は鴨居玲です。洋画家という言い方でいいのかしらね。昔、この人の特集をテレビでやってて、画面越しに絵眺めてたら涙が出た。あのなんとも言えんショックだった。ちょうど亡くなった時なのかなぁ、なんかそれ以来好き。

ロダン

好きな彫刻家は誰か?ということですよね?(苦笑)自分はロダン美術館の庭で朽ち果てたいです。

仏像

これ好きな仏像ってこと?それとも役者論?存在論?(苦笑)
素直に仏像ということだったら興福寺の阿修羅。あの前で数時間呆けていられます。呆けていられるのは鴨居さんの絵にしてもロダンにしてもそうなんだけど、呆けるっていうのは作品として最大理想だと思う。思考停止、無にさせて、それでも何かが入ってくる、というのがいい。

減点法

近頃ずっと感じてるんだけど、世の中気がついたら減点法で物事考えるというか、他人に対して減点法で決めている人が多いんだなと知った。聖人君子でいろよとは言わないし、無理だけど、あまりにも減点法で判断して、ライフが0になって行くだけっつうの?それで相手を決めてるよね。それしちゃうとさ、結局自分も減点されて、まったくもって何も足されないってことに何故気がつかないんだろう。

他人に対する嘘はともかく、自分に対してつく嘘というのは誰しもあって、それが我慢だったり処世術だったりすると思うんだけど、本当はしちゃいけないよね。でもそうするしかないこともある。対人関係においては特に、もしくは世間体的に、社会的にも。
自分はそういうしがらみ関係ないとこでもう何年も嘘ついてるなという自覚はしてる。しがらみの中では基本的にそういう辛さないし、でもそうじゃないとこで自分は自分に嘘ついてると思うよ。ただね、それが自分的に間違ってるものならば必ず入る修正があるんだけど、ないからまだいいんだと勝手に自分を慰めてる。

内在と迷い

人生の半分以上、確実に内在しているものがあった。それは昇華されたからもうない。その先の内在はまだ昇華されない。するのは難しいんだろうなぁとわかりつつ、結局もういいから捨て去りたいと願うけど捨てることさえ許されないのは不条理だな。自分が迷ったせいとも言う。
迷うことってたくさんあると思う。だけどやっぱり迷っちゃいけないよね。迷うことで生じる後悔が嫌ならば。自分的に最大の問題はそういう後悔さえネタだと思ってしまう嫌な客観性なんですがね。

孤独と孤立

気がついたら「孤独死」が「孤立死」表現に変わっていたのでかなり嫌で否定派です。だって孤立っていうのは物凄くイジメっぽいっていうか、いい印象ない。…いや、孤独死もいい印象じゃないけど(苦笑)自分は一人で死ぬ可能性かなり大と自覚してるけど、死んだ後に「孤立死」とされるのは不本意だ。孤独は自ら選んだ結果だと自分の場合はそう思う、でも孤立は自ら選んだのではなく結果的に孤立してしまったという他人からの圧力、評価な気がしてならない。

欲しいもの

欲しいものと漠然と聞かれるとかなり困るが、自分が欲しいものは今も昔も変わらなくて、でもそれは絶対的に手に入ることはない。

二面性

二面性なのは確実。そもそも人は誰でも二面持ってるはずだけどね。書くということに関しては結局それが災いしてるのかなと思うけど。こういう書き言葉にしろ、廃止された(笑)ブログやらで書いてたものと芝居や言葉で出されるものが真逆に近いし、そもそも芝居でも写実日常会話系と抽象系で両方あったからね、なんだろうね。本当はこういうのもですます体できっちりというのがいいんだろうけど、そんなもん好まないし、興味ないんだよね。胡散臭いし(笑)

死生観

観念なり思考としてさ、自我のベースにあるのは生より死の方だと思う。楽しい・嬉しいより、おそらく幼少時代に感じたのは死だもの。身内がんがん死んでたし(苦笑)だからそういう意味ではかなり冷めた子で、後天的にガーッと生の部分やら楽天主義な意識植え付けたようなもんだからちょっとね、喜怒哀楽のかなり喜が弱いままだね。楽はともかく、喜がほんとダメ(苦笑)
別に死にたいわけじゃないんだけど、自分的に生きるより死そのものの方が近い。生から死を見てるのではなくて、死から生を見てる。大差ないようで大差あるよね。

許容量

基本的に他人に対する許容量というのはかなり狭いと思っているんだけど、実際その部分を他人と比べると自分は広い方なんだなぁということに気がついた。言われるし、言われるたびに複雑なんだけど(苦笑)なんていうか、他人を受け入れる量というものはやはり狭いんだけど、他人を否定するというのはしないからなのかな。他人を拒絶することはあるけど、否定するというのはしないようにとは思ってるし。確かに自分がいっぱいいっぱいだと他人のちょっとしたことやらがイラついたりすることはあるだろうけど、ほんの1ミリでも無理矢理にでも余裕かます方がどんだけ自分に得になるかと考えるには考える。ただそんだけ。

出来ること

「自分に出来ることを探す」というのは大事だよね。出来ないことを踏ん張ってやるこたぁないと思う。

白紙にすること

大人だからこそリセットすることを選択してもいいんじゃないかな。大人だからこそ客観性が身についてしまっていて、縛られることも多くて簡単に逃げ出すことが不可能になってるんだから。それは結果的に自分がパンクする。パンクしてしまうと取り戻すのに時間がかかってしまうからね、だったら白紙にしていいんだと思う。自分の中の大事なものが失われてしまう前にね。

些細なこと

ささやかなシアワセみたいなものを積み重ねるだけでいっかなぁと。絶対的幸福みたいなものとか、よくある幸福論みたいなのはわかんない。女の幸せどうこうもわかんない。ああでも不幸はわかる。(笑)

マイペース

かなりマイペースだと思う。正確にはマイペースでいられないことにストレス多大なタイプ。年々そのマイペースの部分を保持できないことがまたストレスでございますよ。大人になるって嫌ね(笑)

お告げ

マイペースの話と絡むけど、結局マイペースでいたい理由は「お告げ」みたいなもんを受け取るためだけのものでさ、それを受け取りそびれるともうしんどいのです。これってあれです、集中力みたいなものです。何かクリエイティブなもの作る時とか、そういう時の集中力ね。なんか来るの、もしくは来させるのね。それを受け取る準備しておきながら受け取りそびれる時の苦痛は半端ない。

人嫌い

かなり人嫌いです。ま、誰も信じませんが、かなり人嫌いですよ。

飲むけど、一人でタラタラ朝まで飲んでいたい派。ぎゃあぎゃあ騒ぐとかありえん。集団なものって本当に嫌い。

ストレス

ストレスのない生活というのはありえんと思ってる。大なり小なりそれぞれストレス抱えてるし、それが感じる感じないレベルだとしても原則生きて呼吸していることはストレスを生むかなと。
自分はかなりストレス受けて生きてるらしいんだけど、自覚している最大ストレスが何かというのは知ってる。正確には二つある。「作ったものを外に出せないこと」と「内面ストリップが出来ないこと」の二つ。内面ストリップはまぁモノが作れない状況というより、自分は自分の中にあるものを隠していることがかなり駄目だね。秘密ということではなくて、外面作ってるということに近いかな。表も裏も自分は混在しているのだと、人はそういうもんだと言いたいというか、ありたい。きれいな多面は苦手だな。きれいも汚れているのも泥だらけなのも面として存在させて、その上でどう映るかだけっつうか。とはいえどう映るのだとしてもいいんだけど。

束縛

嫌いだね、するのもされるのも嫌い。しかし生きてるといろんなものに縛られるもの。

我慢

かなり我慢強い説とそうでない説が。年食って我慢するほうが楽なこともあると知ったからかな。

出会いと別れ

どっちかというとかなり気にしない方なんじゃないのかな。出会い運みたいなのは強いと言われるけど、その後はよくわかんないな。人と人が出会えば影響は受けるし、何かしらは残っていくものだし、別れというものがあればそれはそれでまたね。いい意味でも悪い意味でもおもしろい現象だと思ってたりする。

外面

他人からどう思われようとかなりやはり気にしてないんだよね。抑制されることの方がストレスになる。どっちも嫌なことだけど、どっちかを生かすというか、どっちの方が苦痛かというと抑制される方が苦痛なので抑制されない方法取るともれなくいろいろ他人から思われるわけで(笑)ま、最近選択肢どっちが正しかったのかと自問自答するけど、やはり抑制の方がきついですよ、自分は。

夜空

自分の心身状態が悪いと間違いなく下向いて歩いていたりする。だから意識的に上とか空を見るようにしているんだけど、もれなく日差しは目が痛くなるので上を向くのは夜空のみ。大体ヨシッと思って見上げると満月やそれに近いので不思議なもんだ。

健全

健全な精神は…みたいな言葉があるが、自分的には健全な精神は不健康まっしぐらの時にあるような気がしている。その方が落ち着くんだよね。軌道修正測ろうとしている意識がね、まっとうです。

大事なもの

自分にとって大事なものは一つで、それが守れないのならもうどうでもいっかなと思う。

歩くということ

別にウォーキング好きなわけではなく、たまにテケテケとトボトボと妙に歩くことがある。空見上げるのもそういう時。あてもなく歩くのではなくて、目的地のある歩き方。ちょっとした達成感なんだろうね。手軽に自分の中で簡単に「頑張りました」と言える達成感。自転車だとあてもなく漕ぐをするけど、徒歩は別物。とりあえず震災の時、4時間歩いたからまぁ歩けるんですよ、重いブーツでも(苦笑)

特別であって特別なことではない

近頃本当に形容詞というか、肩書き、そういう状態であることを特別なこと、奇異なこととする言葉を聞くと疲れる。金持ちだろうと貧乏だろうと、病気持ちであろうとそうでなかろうと人は皆ただの人でしかないと自分は思う。そんなことに振り回されたり、意識したり、考える時点で自分が特別扱いされたいんだろうとか思う。生き物は所詮生き物でしかないだけで、特別なことなんてないと思うさ。くだらない、焼いたら皆、骨しか残らんさ。

寄り添う

介護関係で使われる言葉を見てると「あぁシンプル」とか思いつつ、何だか懐かしいというか、古いというか、独特だなぁと思ったりする。でも変なとこ難しいんだけど、傾聴とか。まぁ相手の話を聞く、耳を傾けるわけでしょ。日常で使う言葉ではあるけれど、何だか物凄く別なことを指してる言葉で、でも当たり前のことをいうてる言葉だなと。「寄り添う」もそう。ただ気をつけないと結局ただの記号になってしまって、その意味を忘れる・理解しない・読み込まないのかなとも思う。小難しい横文字のビジネス用語だとかみたいなもんっていうか。一人歩きしちゃうよね、気をつけないとさ。

人の気持ち

んなもんわかんねぇよと思う方がただひたすらに追い求められるからいいんじゃないのかなと。わかる、わかるように努力するがやっぱりね。だって自分がさ、他人にわかったフリされるのって嫌だよ。それがいいと思う人はいるんだろうけど、自分の気持ちは伝わらないと思うほうがね、もしくは人の気持ちはわからないと思うほうがね、いいんじゃないのかな。決め付けるのはよくないさ。

優しみ

自分は優しみという言葉が好きである。だからタイトルにしたこともあるけど。「優しい」でなく「優しみ」ね。この微妙な違いが素敵。

ブログ

そもそもこのサイトが出来た時からの「Meism+」(6年弱分)というのとそれ以前にやっていたブログ分を足すと15年分ぐらいの日々の雑文の山がネット上から完全抹殺されているのだけど、そろそろ再開するかという話もありつつ、悩むところではあるよね。だってそもそも発言がイメージ的にやばいんじゃないかとかそういうのもありつつ、立場的なこととかそういうのも加わって停止・抹殺されたわけで。どうなんだろうな、復活してくれとかも言われるけど、んー…だわ。

インターネット

インターネットって便利なものとされていたが、便利じゃなくなったよね、ほんとに邪魔臭い。PC中毒だったりキーボード依存症ではあるけど、自分はネット依存症ではまったくないのよ。ネット繋がってないと困るのは検索だとか調べ物する時だけで、あとは仕事絡みとか。他の繋がる・コミュニケーションとしてのツールはいらん。ほんといらん。書いていたいだけ。

書くということ

そろそろ何かしらまたまとめ直しつつ、新しいのをンガーッと書く話が出てるんだが、結局それも立場的なものとかそういう制限もややあって自由ではなくて、気乗りしないままなとこがある。とりあえず一週間~1ヶ月くらい他人と接しない時間をくれ(苦笑)

孤独と寂しさの違い

たまに友人らと「寂しいって感覚わからない」という話をするんだが、自慢じゃないが本当にわからないんだよね。同じくその感覚わかんない人らと話すから物凄く小難しくアホな会話になるんだけど(笑)これは根底に「人と一緒にいる状態が幸福である・楽しい・嬉しい」というのがわからないというのに通じるんだよね、多分。知ってる人は知ってるが、自分は本当に半年だとか人とと会わずとも平気で、1ヶ月くらいは余裕で電話だとかそういうことも一切しないでいられる。それが寂しいとはまったく思わない。共有することが好きではないとも言うけどね。が、そういうね、誰かといたいとか話したいとか一緒にいたいと思う感覚を持てる人はシアワセだと思う。思うから、そういう感覚あるのなら大事にした方がいいと思う。
自分は結局のところわからずで、思うのは他人が他人であること、他人と自分が同一ではないことが孤独であることと思っているので、そこから考えるとやはり寂しいという感覚は沸かないんだよ。1人でいるほうがその孤独を感じないで済むから楽とも言う。

常識

常識的なことは知っているが、常識的な感覚やらはまったくないに等しい。自分が特別であるとは思わないけど、ただいわゆる普通の人が生きていく上で芽生えたり得たりしている感覚の部分はかなり欠落してる。まぁそういうレールに乗ってないっていうのもあるんだけど。これはもう幼少からで、まぁなんていうか変な育て方されてるのもあり、ずれてんだ、根本。
近頃いろいろ話していると根本の部分は確実にずれていて、それを調整する能力がちとついてるだけで自分はかなりオカシイんだなと。こういうズレ感じるのもまた疲れるんですけども。

遊び

同世代だけでなく、いろいろな人と話していると思うのは実際のところいろんな意味で青春謳歌(笑)とかしてない生き方してんなぁとハッとする。どんだけ引篭もり体質なんだと。

不健康

不健康の代名詞と言われているが、それでもここ数年健康的な生活しているんだが違う意味で不健康が加速しているので元の不健康生活に戻りたくてたまらないのが本音。心身がさすがにきつい。健康的と言われる生活でいろんなもの崩してしまうっていうのはかなり笑えませんことよ。

表と裏

人のいやらしい部分とかって嫌いじゃないんだけど、ネタ的におもしろいと思うんだけどね、戦う気もないんだけどね、そういうのいやらしい部分をさ、年食っても持ってるっていうのはおもしろくないねと思う。泥団子とかぶつけたくなる。何となくね、年食うたびにさ、人の心の中にあるいやらしい部分とか、俗っぽいものってなくなっていって欲しいと思うんだよね。っていうと普通逆、年食えば増えると言われるが。なーんかそういうのが増えてしまうのは美しくない。

印刷と紙

かなり愛している「印刷」という響き。そして紙マニアの異名もあったりする自分でございますけれども、これはおそらく幼少は印刷所に囲まれたところにいたせいだと思う。この話したら笑われたけれど、幼稚園入ってから知ったのよ。スケッチブックが有料であるってこと。だって小さい頃、押入れ空けたら近所の印刷屋で貰った余った用紙やらがいっぱいあって、紙使いたい放題だったのね。だから幼稚園入って支給されるスケッチブックを新しくするたびに金がかかるというのはもう幼い心でもうカルチャーショック。だから今でも基本的に紙をどこかで無駄遣いする感覚があって、だからこそコピー用紙は1円でも安く手に入れようとする根性あったりするが。インクや紙の匂いは落ち着く。

単純作業

最近痛感しているが、自分は単純作業にかなり燃える。DM封入とかそういうのね。やってると脳のどこかがいっちゃってるのがよくわかる。